fc2ブログ

上へまいります♪

常識という迷信

以前、NHKの『爆問学問』という番組で、
世界の珍食・奇食がテーマとなっている回を見ました。
「所変われば品変わる」とはよく言ったもので、
次々に登場する「ありえない食べ物」の数々に
悶絶しそうな爆笑問題と涼しげなゲストの民族学者。

この番組は、単なる罰ゲーム的なバラエティ企画ではありません。
どんなテーマからでも
「我々はどこから来たのか、我々はどこへ行くのか、我々は何者か」へ
視聴者を誘おうという試みです
(最近の太田はツッコミのインパクトがちょっと残念だけど(^^;))

面白かったのは、
番組の最後に「究極の奇食」としてスタジオに運ばれた一品です。
大きな丸い銀の蓋を取ると、
器の中には生卵が割ってあります。え、生卵?

お醤油を垂らして熱々のご飯と混ぜる「卵ごはん」は
日本人のソウルフードとして、おそらく五本の指に入るであろう、
シンプルでしあわせなごちそうです。

「それが何で寄食・ゲテモノ?」と思いますよね、

ところがです。
ヨーロッパでは「生卵を食べるのは蛇と日本人だけ」
なんて言われてるんですって。
知ってました?

「四つ足ならテーブル以外、飛んでるものなら飛行機以外は何でも食べる中国人」
というのと、ちょっと似てますよね。

感嘆だか偏見だかわかないこの感覚の背後には、
「自分達の価値観こそノーマルである」という思い込みが
色濃く反映されているのがわかります。

いかにもノーマルだと信じている価値観。
これは、しばしば「常識」と呼ばれ、私たちの感性を機能不全にします。

長い目で、あるいはグローバルな目で見れば、
「常識」とは、ある時代のある地域で流行った考え方にすぎません。
それまでは異端とよばれる価値観だったはずです。


三十半ばで結婚していない人は、都市部では3割から半数ですが、
30年前には、特に女性は行き遅れと言われ、
「常識的な」親は相当に肩身の狭い思いをしました。

親が「世間様に顔向けできない」ことと言えば
かつては結婚前に子供ができちゃうことなんかもそうでした。
今はむしろ、そういうきっかけでもないと結婚に踏み切れないカップルも多いとか。
「みんなで渡れば怖くない」って話ではありません。

フツーに考えてみれば
結婚と子供は、ニワトリとタマゴよりもずっと明確で
どう考えたって子供が先ですよね。
子供をより安全に産み育てるために、結婚というしくみができたわけでしょ?
なのに「はじめに結婚ありき」みたいな社会システム、
この国にはまだまだありますよね。

思想・信条の問題じゃなく、合理的に考えてみたいワケです。
ヨーロッパには、両親が結婚してる子より結婚していない子の方が多い国も少なくありません。
そして出生率は、一時期の低下はあっても、回復基調にあります。
結婚していてもしていなくても、子育てに不利益がないからです。
私たちの未来を支えてくれる子供達がどんどん減っている背景には
この国の「常識」が足をひっぱってないのかな?

結婚だけじゃありません。
仕事も家族も友達もお金もあれもこれも、
「これぞ常識」「まっとうな価値観」だと思ってることの内のどれだけが、
自分自身の価値観なのか。

自分の人生をプランニングする基準は何なのか。
常識という、使い古しの他者の価値観であっていいのか。

どんな常識も、定着するまでは非常識だったこと。
より長い時間軸で見ると、ちっぽけなローカルルールだってこと。
誰もが新たな常識を創れるんだってこと。

ワクワクしながらそんなことを考えている非常識なおねーさんです。
スポンサーサイト



たんじょうびありがとう

誕生日は
周囲からの「おめでとう」に「ありがとう」というだけでなく
あなたをこの世に送り出してくれたお母さんに
「ありがとう」を言いましょう。
…みたいな言説を、最近よく聞くようになった。

私自身の生育過程では、そんなことちっとも思ったことなかったのに、
三十何回目かの誕生日に、小学生の息子から(変化球で)言われ、
びっくりしたことがある。

誕生日にかこつけて孫の声を聞きたい母からの電話に、
「おばあちゃん、お母さんを産んでくれてありがとう」
と言ったのだ。

ちょっと感動したものだ。

それから数年後、祖母の臨終にあたって、彼はもう一度、
「お母さんを産んでくれてありがとう」


一昨日は、その息子との誕生日だった。

ある人とメールのやりとりをしていて
ふとそんなあれこれを思い出し、メールに書いたら、
奇しくもその日、彼女の息子さんに男の子が生まれたことがわかった。
(ほやほやおばあちゃんは、私より若いw)
彼女は、ほやほやお父さん(息子さん)から
「親の大変さがわかった、ありがとう」と言われたのだそうだ。

おめでとうが2倍になった。

「生んでくれてありがとう」の何倍も
「ここに生まれてきてくれてありがとう」だと思う。

母としての成長スピードをあっさり追い越して
人として成長している有り難さを思う。

すっかり忘れていたけれど、
産院でも、雨の日が3日ばかりあったことを思い出す。
「これからは、雨の日も好きになりそうだ」とかなんとか
日記に書いたのも思い出した。


誕生日の想い出が、数珠つなぎに増えてくしあわせ。

ひさしぶりに家でお祝いして、
息子の彼女と、息子の父と4人で食卓を囲んだんだけど…
次の誕生日に彼らが思い出すのは、

キャンドル越しに料理を取り分けようとして
シャツの裾を燃え上がらせた私のパフォーマンスなんだろーなー。

誕生日おめでとう。
誕生日ありがとう。
誕生日火の用心。

アイコンタクト

青山霊園に近い、都内某所の横断歩道。

交通量の少ない道路で、
ほとんどの人は、信号の色に関係なく、左右をチラチラとみて渡ります。
わたしも例外ではありません。

いつものように渡ろうとすると、
学校帰りの女の子(5年生くらいかな)が信号が変わるのを待っています。
立ち姿の気持ちのいい少女です。

その横を、サラリーマン風と学生(orフリーター)風の男性が
さっさと渡っていくのですが、
わたしは一瞬迷って、立ち止まりました
(ま、子どもがいるとそうすることが多いですね)

青になって、少女とわたしは横断歩道に踏み出し、
真ん中あたりですれ違います。
その瞬間、少女はほんの少しだけ口角を上げて、
「ねっ」て感じのチャーミングな眼差しを私に向けるのです。

私も思わず同じ表情(だといいな)になったのは言うまでもありません。
「正しいオンナはこうでなくっちゃね」のようでもあり、
「一瞬、渡ろうかと思ったでしょ?(笑)」のようでもあり…。

とにかく、すごく心が通い合う会心のアイコンタクトだったのです。
そうだ、彼女のフキダシ(破線)は、きっとこうだ。

「“せーの”で一緒に歩き出すのって、楽しいね!」

あんな風に100%の共感で視線を交わしたこと自体
ものすごく久しぶりだった気がするるのです。


規則で決まってるから信号を守るのではなく、
こういうささやかな楽しさがあるから信号を守る。
…ちょっと素敵。

彼女も長ずるにつれ、時には赤信号でも渡るかもしれません。
けれど、「誰も観てないから、まあいいや」な大人にはならないだろうな。
それだけは、わかるような気がします。

ブランニューなわたくし

サブタイトルは「熟年離婚記」でございまーす。

数日前、勢いで(お試しで?)mixiの日記にざっくり書いてみたら
いただいたコメントを読んで
「そうか、私はこのように映っているのか」
新鮮でもあり、さらにいろいろ考えてみるいい機会になったので、
あたらめて書いてみます。

ゴールデンウィークに二人で離婚届けを出しました。
表面的な暮らしは、それまでと変わってないです。
(姓も同じ、住所も当面は同じ)
気分的には流石に「なかなか慣れないなー」というか (まあねw)
たかが紙一枚、されど紙一枚でございます。

若いカップルと入れ違いに、区役所の休日受付の部屋に入ると

「婚姻届ですか?」

そっか、休日に仲良く?提出したりはしないものなの?
それともどちらか一人で、あるいは代理人がいくものなのかな。

が、初心者の浅はかさと言いますか、
離婚届けって、本籍地の区役所(お隣)じゃなきゃいけないのね。
オマケに、姓の継続使用とか新しい本籍地とか付属書類の不備で
その日は仲良くお茶して帰り、二日後に本籍地区役所に出直しました。

その翌日、卒業旅行?を兼ねて沖縄に。
元夫氏は仕事の都合上一泊で帰り、 私がレンタカーで空港まで送りました。
彼が手荷物検査の列に消えてから、
空気が抜けたみたいに、空港の待合所でしばらくぼーっ。
何事も、経験してみないとわからないものです。

離婚の理由は、シンプルに事実だけを言うなら、
今回は(離婚するのは初めてですw)、元夫氏が強く望んだからです。
「一度リセットしないと自分は癒されない」と。

1年半前に署名捺印してはあったものの、
実際はしなくてもいいんじゃないかな、と思っていた私も
「それで癒されるのなら、そうした方がいいな」と。

「なーにやってんだか」と笑うコメント(実は極めて誠実)もあれば
「大人の決断なのだろう」と、私を思慮深い人のように扱ってくださるコメントも。

mixiの日記を書いていたとき、
SONGSの再放送で、徳永英明が「翼をください」を歌っていました。
で、「ただいまのテーマソングに認定したい気分! 」なんて書いたものだから、
コメントとは別に、直メールも2通いただきました。

まるで翼の折れたエンジェルに手を差し伸べるようなやさしいメール(男性)と
解き放たれた翼が 風を得て 更なる高みに舞い上がる感じ!
と快哉を叫ぶメール(女性)と。
この二人は、かつて親密な仲であったことも「なるほど~」です。

「翼がほしい」というアピールは、

「翼がなくて悲しい、せつない」のか、
「空を自由にとんだらどんな景色が見えるかな~♪」なのか


このフレーズに関しては、私は後者なのですが、
わたしとコメントやメールをくれた人との関係性、
そして、その人が私というフィルターを通してご自身を反映した世界観
いろいろありますね。

成人している息子は言いました。
「まあ、どっちでもいいんちゃう? 仲良くできるんなら」

はい、おっしゃる通りでございます。

別れる理由に「価値観の違い」をあげるカップルは多いと思います。
でも、「違う」ことは本来全然構わないことであって
価値観に優劣・正邪を(無意識に)つけていることが問題なんですね。

四半世紀も経て「うわ~こんなに違ってたのか」と
シンプルに驚く私もたいがいですが(笑)
この事実をしっかりと見極めた上での
「上にまいります♪」ジャンピングボードにしたいものです。

相対的ローガン?

両眼とも2.0 だったんだけどな、かつては。。。
視力の悪い人は、ローガンになってもあんまり落差がないようだけど、
私はおかげさまで
「見える人生」「見えない人生」のあれこれをダイナミックに堪能している。

わたしのローガンは寂しがり屋なのか、視力低下と乱視も連れてきた。
(ま、PC依存率が年々高まってるせいだとも思うが)


さて、昨日のことである。
針に糸を通そうとして、愕然とした。

「なかなか通らないどころか、針の穴が見えない!」
ついにここまで来たのか…と思ったのもつかの間、

(…あ、針が逆さま…)

ここまでなら、私を知る人には「あるある」的一人コントなのだが、
「な~んだ!」と針をひっくり返し、再度試みると、

一発貫通!針の穴が、わりとクリアに見えた気がするのだ。

これ、ショック療法として語ることも、
相対性の問題で語ることもできるかもしれない。
が、一番の勝因(大げさ)は、

「通すべき穴が見えたことじゃないだろうか。

もっといえば、ひっさしぶりの針仕事で、
自分がローガンな事実を忘れてたせいかもしれない。
左手に針、右手に糸を持った時点で、「針に糸を通す」こと以外の雑念、
つまり「ちゃんと通るかな?」「5回くらいのトライはしょうがないよね」
といったココロのお喋りがまったくなかった気がするのだ。

まさに、剣豪が刀を構えた時の心持ちであろう(違)

 | HOME |  »

 

Calendar

« | 2023-12 | »
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

Monthly

Categories

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Appendix

masako

masako

ライター
和みのヨーガインストラクター
2012年、東京から沖縄にワープしました。
こちらのブログでは水曜日の担当です。
http://enrin-inet.com/blog/